創業は、江戸時代の刀鍛治からはじまり、伝統ある焼き入れ技術を生し、少量・多品種の生産を行ってきました。
 時代の要求が高度化する中で、お客様のニーズにいち早く対応出来る自社の技術を磨きつつ、最先端技術を導入し、創業以来蓄積されたノウハウとチャレンジ精神で要求に対応してゆく所存でございます。


何卒宜しくご利用くださいませ。

                              代表取締役社長 加藤 益子

 

 

鉄水子国照銘の大刀    黒羽町史より

水子国照(向町山形屋加藤氏の祖)は、享和(1801年~1803年)の頃神田鍛治町に生まれ、鍛治職を修業した。
東北へ修業の旅に出た折に、 黒羽にて病気にかかり向町松下屋に泊まり治療。
平癒後、松下屋主人の仲人で現在地の鍛治屋加藤家の娘リンの婿養子となった。
加藤家には鍛治の道具があったため、刀剣を打ち御用鍛治となり四人扶を受けた。

同家には刀工の看板・焼を入れた舟が残っている。
その作には戦前迄は黒羽にあったが、戦時中他出し今は町内では見当たらない。

唯一、茨城県下妻市の大宝八幡宮に奉納刀がある。
大宝八幡宮は文武天皇 大宝元年(701年)に藤原時忠が常陸国河内郡へ下向の際、
築紫の宇佐八幡宮を勧請し創建。御冷泉天皇 康平5年(1062年)に源頼義は安部貞任を討伐し、
凱旋の際に自ら社頭に詣で祭りをし田を寄進した。

後鳥羽天皇 文治5年(1189年)に源頼朝が奥州の藤原康衡を討伐。平定の際に家臣下河辺行平に命じ、
鎮守府の八幡宮を勧請。
若宮八幡宮と云う・・・。

由緒ある神社に奉納された「鉄水子国照銘の大刀」は長さ九尺の大刀で、奉納に当たっての道中手形が今も加藤家に残っています。